実にお久しぶりの更新となってしまいました…。楽しみにしてくださっていた方がもしいらっしゃったら申し訳ございません…。ツイッターには折々顔を出していたようにやる気がなくなってしまったわけではありませんが、時間を捻出するのに手を焼いてしまっておりました。もっと精進しなければなりませんね。

さて「戦略タイプ論」シリーズの記事がまだ途中ですが、今回はリハビリも兼ねて少し休憩とさせていただきたいてもよろしいでしょうか?

先日とあるENTPキャラを分析していた際に発見したENTPの「エピクロス主義」について易しく詳しく正しく!お伝えしたいと思います。この「エピクロス主義」を理解することで格段にENTPへの理解が高まること請け合いです!

もちろんENTPだけでなく、ENTPの影となる心理機能を持つISFJやアルファクアドラの価値観理解にもお役立ていただける内容となりっております。



「カルペ・ディエム」~ENTPとエピクロス主義~

兼ねてより私のツイッターをフォローしている方はご存知かもしれませんが、私はYouTubeにて配信されているモンスターストライクのアニメシリーズの一つ「ルシファー 反逆の堕天使」という作品のファンです。
(ご興味ある方はこちら。ゲームを知らなくても楽しめる内容です!)

たまたまこのアニメの13話~に登場するベルゼブブというENTP型のキャラクターの行動について整理しようとアニメを見返したり原典である聖書関連の情報収集などをしていたら、ENTPのひとつの共通点に気づいてしまいました…!それはENTPは究極のエピクロス主義者なのではないか?ということです。

 しばしば誤解されがちな「エピクロス主義」

さて、皆さんは「エピクロス主義」という言葉をご存知ですか?もしかしたら「高校の倫理の授業でちょっと聞いたことあるかも…?」という方や「アニメやゲームで聞いたことある!」という方もいらっしゃるかもしれませんね。A3!を長くプレイしている方なら似た言葉を聞いたことがあるはずです。一周年イベントの有栖川誉さんのポスターのキャッチコピー「叙情的エピキュリアン、本領発揮!」のエピキュリアンという言葉もまた、エピクロスから派生した言葉です。
このエピクロスとは古代ギリシアの哲学者の名前です。そして彼の哲学に影響を受けた学派のことをエピクロス主義と言います。

エピクロスはどんな主張をしていたの?

エピクロスの哲学とは「快」や「幸福」の追求を人生の目的とした哲学です。 これだけ聞くと一般的に言われる「快楽主義」のように聞こえてしまうかもしれませんし、実際にそのような刹那的な意味として捉えてられてしまっている側面もあります。しかし、本来の意味は全く持って違います。

この「一般論としての快楽主義」とは功利主義の意味合いに近く“個人の幸福の総計が社会全体の幸福であり、社会全体の幸福をより大きくすべきである”といった思想に代表されるものです。例えばせっかく食事をするなら豪華な食事が良い、富も少ないよりは多いに越したことはない…それらを皆が追求することが全体の幸福であるという考え方です。(※「功利主義」とは私利私欲のために幸福を独占するわけではありませんので「利己主義」とは異なります。)

しかしエピクロスの言う「快」や「幸福」はこういった意味の快楽主義とは違います。どのようなものかと申しますと、精神的な平静…すなわち現実の煩わしさから解放された状態のことを「快」としています。エピクロスは「ある行為によって生じる快楽と比較してその後に生じる不快が大きくなる場合には、その行為は選択すべきでない」とし、身体的・物理的な快楽に代表されるような一時的な快楽や不必要な快楽に対しては否定的な主張をしているという点は極めて重要です。つまり「一般論としての快楽主義」にとっての快がプラスの状態であるのに対し、エピクロス主義の快とはプラスでもマイナスでもない、ゼロの状態であると言えるでしょう。この精神的な平静のことをアタラクシアと呼んでいます。「誰も寒くない、誰も苦しくない、誰も悲しくない…」そんな、あらゆる問題が解決された状態を指しています。

このアタラクシアの状態をわかりやすく表す具体例として、エピクロスは人間の欲求を3つに分類しています。

①自然で必要な欲求…友情、健康、食事、衣服、住居などを求める欲求
②自然だが不必要な欲求…豪華な食事、贅沢な生活などを求める欲求
③不自然なで不必要な欲求…名声や権力などを求める欲求

 このうちエピクロスは①「自然で必要な欲求」のみを追求することで、人間は精神の平静(アタラクシア)を手に入れることができると主張しました。エピクロスがなぜ自然な欲求でありながらも②を是としなかったかと言うと、おそらくこの不必要な欲求というのは終わりがないからでしょう。終わりがないということは、満たされることが難しいということです。「贅沢にはキリがない」とよく言いますが、確かにこれでは欲ばかりを追い求める人生になってしまい、本末転倒となってしまいます。

しかしこのエピクロス主義の①自然で必要な欲望のみが満たされる生活を是とする思想は、次第に欲望の充足のみを追求するような悠々自適な生活を肯定する思想だと誤解されるようになってしまいました。もちろん上記でも説明した通り、エピクロスはこのような生活を肯定していません。

ここまでの説明で察しがつくかと思いますが、エピクロスは自然思想の持ち主でした。人間の自然な欲求を愛し、それと共に人間にとって自然に訪れるイベントである「死」を甘んじて受け入れ恐れることはありません。死によって人間は感覚を失うのだから恐怖を感じることすらなくなる――といった考えを持っていました。

世界的に有名な犬であるスヌーピーの格言に「配られたカードで勝負するっきゃないのさ。」という言葉がございますが、この言葉は自然思想を有したエピクロス主義と似た意味合いに取ることができます。これは「ありのままの現実を受け入れて生きていくしかない」という意で捉えられますが、エピクロス主義的に言えば「配られたカードは変えることはできない。であるならば、その利用法を自らの知恵で考え抜き、最善の使い方をするべきだ」と変換することができます。ただ配られたカードをガムシャラに使いあとは野となれ山となれ!ではなく、どの選択をするのが最善であるかを自らの知恵を使って慎重に判断することがエピクロス主義では求められています。それはエピクロス主義が「自分の選んだ答えが、後にどのような状態をもたらすのか?」を常に考え選択することを重視しているからです。

これは下記でご紹介する「カルペ・ディエム」の思想と共通します。

カルぺ・ディエム~「我々は食べて飲もう!明日は死ぬのだから!」~

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さて、エピクロスの基礎的な考え方はご理解いただけたでしょうか?少し話を戻して、モンスターストライクのアニメの話です。彼がENTP型のベルゼブブさん。彼は魔界の王なのですが、初登場シーンにて幽閉されていた収容所でこのようなセリフを言いました。「我々は食べて飲もう!明日は死ぬのだから!」

この言葉は旧約聖書および新約聖書にある言葉であり、ラテン語のカルペ・ディエム…「その日を摘め」と同じ意味を持つと言われています。これは「人生は短く時間は限られている。だからこそ今ある機会をできるだけ掴むことだ」という意味。これは先に述べた思想と同じ意であり、とてもエピクロス主義的ですよね。

実際の聖書ではやや否定的な使われ方をしていますが、ここでベルゼブブが言う「我々は食べて飲もう!明日は死ぬのだから!」の意は、人間誰しも避けられない「死」というイベントを見据えて「人間はいずれ死ぬのならば、限りある人生を幸福なものにした方が良い」ということ。彼はこのとき犯罪者の収容所で幽閉生活を送っていましたが、ただ幽閉されているでなく、歴史や哲学の知識を集め民の平静を脅かす存在について研究、そして秘密裏に監獄内に脱出通路を設計していました。限りある彼の人生に於ける時間を無駄にはしていなかったのです。

そしてベルゼブブはたびたび「死」や「世界は滅ぶ」という発言をしますが、これは尻込みしているわけでも希望を失い塞ぎこんでいるわけでもありません。栄枯盛衰という自然の摂理に則った考えを肯定し、「生まれたものはいずれ滅ぶ」という至極当然なことを言っているに過ぎません。

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「神は死に、世界は消え去る」というのは、遅かれ早かれいずれ訪れるというのは自然の摂理。彼の研究と人生の目的は先にも述べた通り「いずれ滅びてしまう世界ならば、せめて幸福なものにしよう」という極めて良心的なものだったのでしょう。そんな考えを持つベルゼブブですから、世界を滅ぼす力を持った「邪神」に対しても、自らの力で考え抜くことで最善策を切り出そうと情報を集め知恵を絞り思考していました。そう、配られたカードで勝負するっきゃないのです。

しかし彼はその目的を主人公たちに話すことはありません。もちろん物語の中ではベルゼブブが非常に人道的で正義感にあふれるかっこいい人物だということが見て取れる描写はたっぷりされているのですが、あまりにも純粋かつ濃縮還元された正義感であるため、言葉にすると軽くなってしまうのです。「美学」という言葉が最適でしょうか…。

彼は最後まで自分の努力や手柄を誰にも語りませんし、むしろ人前ではスカしたような・お高くとまったような振る舞いをします。
うーん、どこかの誰かさんみたいだなぁ…と私は勘付いてしまいました(笑)

現代の「エピクロス主義者」である入間銃兎(ヒプノシスマイク)

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そう、彼です。当ブログでは晴れて(?)二度目の登場となります、ヒプノシスマイクの入間銃兎さん。ENTP型です。ヒプマイはファンタジックな設定ながらもモンストのアニメよりはだいぶ現実味を帯びた世界観です。そうでありながらも彼の人生観や哲学はベルゼブブ同様に、いやもしかしたらそれ以上にエピクロス主義的なのではないか!?と私は思いました。

 入間銃兎の人生哲学である「カルぺ・ディエム」

さて、まず初めに彼のことを簡単にご紹介しましょう。公式のプロフィールなどを見てなんとなくご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、彼は警察官です。しかもただの警察官ではなく、強請りやたかりを働く“悪徳警官”。しかしそれは私利私欲のために悪事を働いているでなく、彼なりの「カルペ・ディエム;人生は限られているのだから、今ある機会をできるだけ掴むことだ」という思想により考え抜かれた行動です。

彼の目的は最新のドラマトラックでも描かれている通り「薬物を撲滅すること」です。薬物中毒者によって命を落とした両親や実際に薬物によって命を落とした友人への【弔い】のためだと彼は言及していますが、弔いとは「恨みを晴らす」という意味ではなく「供養」という意味。つまり、銃兎は両親や友人の死を甘んじて受け入れ、その上で自分に何ができるのか考えた結果の行動をしています。だからこそ仲間に自身の行動理由を打ち明けるときに「人間の死はありきたりだ。毎日途方もない人数が死んでいる。私の話はそんなありきたりな話なんだが…」という言葉を添えたのでしょう。抽象的な表現でわけがわからないと思った方も多いかと思いますが、ただの飾り言葉でもなんでもなくこれは彼の根っこの価値観から紡ぎだされた言葉なのですね。

彼は「人間の死はありきたりだ」と話す通り、人はいずれ死ぬことを受け入れていますし納得もしています。ただ、彼の身に降り掛かった「死」はどう見ても自然な死ではありませんでした。人間の弱い心…すなわち行き過ぎた不自然な欲求が生み出した「薬物」という存在による不自然な形の死でありました。ですから彼は警察官になって薬物を撲滅し、アタラクシアがもたらされる社会を目指したに過ぎないのです。

しかし通常、彼は秘めた想いを語ることはありません。むしろ、スカしたような気取った振る舞いをすることがほとんど(笑)でも多くを語らないからこそ彼の正義感というのは純粋さを保ち続けているのかもしれませんね。

 日常にも細やかな「カルぺ・ディエム」

彼の「カルペ・ディエム」の考え方は根強いもので、日常的な会話にもしばしば表れています。視聴は一部分しかできませんが、こちらのドラマトラック内では彼のエピクロス主義的な考え方が非常によく描写されています。

食事をするために森の奥まで1時間も歩かなければならなく左馬刻に文句を言われたときも、「こういった趣向もまた一興じゃないか?こうでもしないと外で飯なんて食べないからな」「飯前の良い運動だと思えばいい。腹が減っていた方が美味いもんだ、飯は」などという発想の転換をしていました。これも非常にカルペ・ディエムの考え方で「外で飯を食べるために森の中を歩く」ということは変えようのない事実…つまりは配られたカードであるわけです。であるならば、その事実を甘んじて受け入れ、自らの知恵で考え抜き最善の発想をしたのです。

ここでご紹介したドラマトラック以外でもこのカルペ・ディエムの思想は彼の思考や人生観の基盤となっていますので、それを踏まえて彼の行動や発言を見ていくとその真意がより分かりやすいかもしれません。

ENTPの心理機能とエピクロス主義

先に述べた「配られたカードでカードで勝負するっきゃないのさ。」というスヌーピーの言葉の「配られたカード」というのは、絶対に変えることのない事実…「明日は死ぬのだから!」にも例えられる自然の摂理です。ENTP型は内向的思考(Ti)所持者であるため、そこにある事実を操作しない――これが即ち自然思想となります。先に述べたヒプノシスマイクの碧棺左馬刻はESTP型ですが、Ti持ちの彼もまた自然思想であり、起きた事実に対しては甘んじて受け入れる姿勢を取っています。例えばこれが外向的思考(Te)になるとそこにある事実を操作しようとしますので、例えば「延命装置を作る!」だとか「配られたカードを1度だけ交換できるルールを作る!」とかそんな手を使う傾向になります。

そして「勝負するっきゃない」―すなわち「その利用法を自らの知恵で考え抜き、最善の使い方をするべき」というのは外向的直観(Ne)が大きく関係してきます。この場合「自分の手札でどういったカードの使い方ができるのか?」というアイデアを複数見つけだし(Ne)、これらを比較検討します(Ti)。そしてその判断には物事の本質を見抜けなくてはなりません。

そしてなぜENTPがこのような思考回路をするのか?彼らの原動力になっているのは無意識下のFeとSiです。そう、これこそ「精神の平静」とも言えるアタラクシア以外の何者でもありません。ENTPの影となる存在はソシオニクスでの双対関係となるISFJですが、彼らはオープンにアタラクシアを体現する人々であり、その原動力となっているのがENTPのカルペ・ディエム思想であったりもします。

総括:ENTP型である筆者と「エピクロス主義」

いささか難しいお話だったかもしれませんが、いかがでしたでしょうか?
ENTP型の誉を「エピキュリアン」と称したことが「快楽主義」と誤解をされていたのは少々悔しかったのですが、それは私自身が誉のことを快楽主義者ではなく立派なカルペ・ディエム思想を持つ人間に感じていたからでしょう。これは最新の冬組公演である『Risky Game』での密への対応を見てもとてもわかりやすいです。オーガストは既に帰らぬ人となっているのだから、それを甘んじて受け入れたうえで最善のアイデアを提供していましたね。

私も当然、今まで大切な人を亡くしました。人間の死はありきたり――私も同じように思います。生きていれば時間は過ぎていくのだから人間は老いますし、若くても病に冒されてしまうこともあります。もともと寿命の短い動物は当然我々を置いて去ってしまうものです。その事実からは抗えません。私は去年も大切な人を亡くしましたが、ありきたりである「死」よりももっと見るべきことは「その人から何を学んだのか?そして恩を返すために私に何ができるか?」ではないのかと考えました。ですから私は悲しい気持ちにはなりません。いや、ならずに居ることが供養でもありました。悲しんでいる姿よりも前に進む姿を見せてやりたかったですし、素直に愛情表現ができない私にできる唯一の恩返しとして周囲の人たちがどうか穏やかであって欲しい…そのために私はいつでも役に立つであろう知識や見解、方法論を提案しているに過ぎません。お節介…そう思われてしまうことの方が多いのもまた事実ですけどね(笑)しかし私はそれで構わないのです。今日はお節介でも10年後、100年後でも何かの役に立っていただけるなら、私の生きた証にもなり得るでしょう。まぁ、ここでお話したことは私のほんの一部です(笑)

そしてこの記事での見解もまさしく「カルペ・ディエム」かもしれません。

私はこの記事で、「人気」とは主観の集合体でありキャラクターの価値とはイコールではないとの見解を示しています。私は人気投票の実施に否定的ではありませんでしたし、公式のやることは基本的に甘んじて受け入れるスタイルです。だって起きたことを嘆いていても人気投票がなかったことになるわけじゃない。であるならば「人気キャラはなぜ人気なのか?」という研究に使って作品理解や社会の理解に役立てたほうが得策だ、と思ったまでです。

そんなこんなで以外にも約8000字になってしまいました!今回ご紹介したENTPキャラクター2名は私から見てもENTPとしての人物描写がとんでもなく上手だと感じるキャラクターです。NeTiの思想って彼らにも代表されるようにとても理解されにくいものなので、キャラクターを描く側もかなり骨の折れるシゴトだと思うんですよね。にもかかわらず、この両者はENTPの「深み」であるアタラクシア思想まで描かれており(どちらかといえば入間さんが分かりやすいです)、ENTPについて深く知りたければ非常におすすめのキャラクターです!その際はぜひとも、この記事で触れたエピクロス主義についての知識を頭の片隅に入れながらキャラクターを理解していただきたいです。

人間を理解するのにこのように「哲学」をヒントにしたのは初めてですが、このような見解があることを発見したのでもう少し踏み込んで勉強してみるのも悪くないかもしれませんね。では、次回もそう遠くはないうちにお会いしましょう。




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「あなたの日常に、コペルニクス的転回を」をコンセプトに、独自の視点で情報発信をしています。 取るに足らないようなありふれたコミュニティーやカルチャーの研究、分析など。