【イベスト感想】劣等感をも愛せ!七尾太一~『燃えよ饅頭拳!』感想~

 

こんばんは~。更新が空いてしまい申し訳ございません。プライベートが少しだけ忙しいのもあり、ちょっと落ち着くまでまったり更新になるかもです。

前記事のアイキャッチはカレーでしたが今回はラーメンです。THE高カロリー!!
皆さんは一人でラーメン屋さんに行けますか?私は絶っっっ対に無理!!そもそも料理だけを求めて飲食店には入らないのですが、そういうところはアルファっぽいな~と思います。何かしらの付加価値を求めてしまうのです。
関係ないですが私は焼きそばが好きなのでラーメン屋さん並みに焼きそば屋さんが流行って欲しいです。都内の美味しい焼きそば屋さん情報はいつでも募集中!

さて、お待たせしてしまいましたが今回は七尾太一くん主演の『燃えよ饅頭拳!』の感想記事です。もう冬組公演も終わってしまったタイミングですが、ちょっとだけ頭を秋組に戻していただくようお願い申し上げます(笑)

お決まりの文言!当ブログは普通のファンブログではなくA3!を心理学を用いて分析・考察するブログとなっております。なので通常の感想をお求めの方のご期待には添えないものである可能性がありますのでご了承ください。少しでも興味を持ってくださった方は、分析心理学の基礎記事や各キャラクターの個人分析(まだ途中です…)をお読みいただければと思います。




『燃えよ饅頭拳!』イベントストーリーを読みました

▼主演:ESFP型、七尾太一の分析記事

約1年前の記事なんですね~!比較的早いタイミングで分析していたのでした。
おそらく文章はところどころ直したとは思いますが…!

そもそも「劣等感」ってなあに?

普段は元気で天真爛漫な太一ですが、この子はポートレイトでもさらけ出したように強い劣等感を持っています。まずこの「劣等感」というのが何なのか?についてご説明しましょう。

最初に、筆者はあまり劣等感がありません。ブログやツイッター読んでりゃわかるよって思うかもしれませんが(笑)でもそれは私が実際に「とても優れた能力を持っている」というわけではないです。寛容で利発、ユニークでユーモアに溢れおまけにそこそこ容姿が良い!こんなに素敵な人はなかなか居ないぞって思いますが、それはつまり「現状に満足している」というだけに過ぎないのです。だから自分の性格を変えたい!とか顔を変えたい!などと思ったことはあまりありません。だってある程度、満足しちゃってるから。せいぜい持ってる素質を活かして人の役に立つために努力をしようとか、最高に素材を活かせるメイクを研究しよう!とかスタイルの良さを活かしたファッションをしよう!と思っている程度です。もちろん見る人によっては私を「劣っている人間だ」と感じる人も当然居ると思います。でもそう思うのは価値観が違う人の意見に過ぎないですし、そのような指摘をいただくことがあってもあくまでも貴重な情報のひとつとしてありがたく頂戴するだけです。あくまでも最終的に決めるのはこの私だから!っていうスタンス。

ですから強い劣等感を持つ太一が周囲より劣っているわけではありません。ただ「現状に満足していない」というだけなのです。無意識かもしれませんが「まだまだ自分はやれる筈だ!こんな器ではない!」と思っているのだと思います。
細かく見ていけば器用に物事をこなす万里は確かにすごいかもしれません。ですが、彼も言っていた通り万里には「できるように努力する!」といったような熱血さは無いですし、その観点で言えば万里は太一よりも遥かに劣っています。優劣をつけるという行為には「ある観点から見て」という主観が必要になるので、優れたものでも別な視点から見たら劣っていますしその逆も然りです。なので様々な要素で出来た人間に正しく優劣をつけることは非常に難しいことなんですよね~。
我々から見たらブロッコリーは手に持てるくらい小さいですが、小さな虫たちから見たらブロッコリーは大樹のようにそびえ立つ偉大なものです。だから「ブロッコリーは小さい」というのは我々人間から見た主観に過ぎません。これは世の中のすべての物事に当てはまります。

劣等感とは「劣った人間」が抱く感情ではなく向上心の高い人間が抱くものです。あ、でも私みたいな自尊心高めのタイプが決して悪いわけではありませんよ!それぞれ違った特性があるということです。そう、特性

自分からは見えなかった“努力家”の景色

秋組第5回公演の主演を任された太一は、台本を渡されたその日から必死にセリフを叩き込みカンフーの練習にも励みました。もうそれは誰もが「やりすぎだよ~」と思う程に。いつも元気いっぱいで躍動感に溢れ楽しそうなものを純粋に楽しむ天真爛漫な太一からは想像しにくい程のストイックさでしたが、ESFP型がこのようなストイック要素を持っていることはソシオニクス上の双対関係がINTJであることからなんとなく想像はできるかと思います。
ESFP型の第三機能の外向的思考(Te)が「目に見えた成果」ありきの機能であることはTeを主機能・第2機能に持つ劇団員たちを見て分かることかと思いますが、それが第3機能であることにより「何とか成果を出したい…」と不安に思いやすい傾向にあります。そう言えば過去に同じESFP型の九門も、主演を努めた初恋甲子園にて主演のプレッシャーから肉体的にも追い込まれていましたし、シトロンも『ナイラン』のイベストにて「自分にとっての理想の王様になれなくて辛い思いをしていた」という旨を至に語っていました。一見エキサイティングに見えるESFPですがの中では様々な闘争が起きているのですね。「自分との闘い」に近いものがあるでしょう。ESFPの属するガンマクアドラは「シリアス」の要素を持ったグループですから、ただヘラヘラしているだけではなくきちんと深刻さを持っています。

「主演は自分のメンテも仕事だから。」

双対関係であるINTJというのは、非常にプロ意識も高く「自分のやりたいこと」に対してしっかりとプライドを持っている人たちです。やりたいことを成功させるために簡潔に5W1H的な考え方をします。「いつ」「どこで」「誰が(誰と一緒に)」「何を」「どのように」すべきか、またそれが「なぜ」なのか。きちんと筋立った思考で合理的に実行することが出来ます。これらを計画的に考えるというよりは、すぅっと頭の中に道筋が思い浮かぶ、性格のクセを持っています。

劇団内のINTJ型である幸や莇を見ていても、大胆な考え方で目的までの最短コースを考えることが出来、非常に合理的な行動をする性格だと伺えます。「本当に今このタイミングで、この手段を取ることが最善策なのか?」を自然と察知することができるので無駄な行動をあまりしません。プチプチを潰す時は雑巾のように大胆に絞ります(笑)Niらしい考え方ですね!

準主演の莇はINTJ型なので「公演までに何をすべきか」が分かっていて、正しい手順かつ正しいタイミングで準備をすることができます。無理をしてしまう太一に対し、「自分のメンテも主演の仕事だから」と徹夜続きでクマが酷くなるばかりの太一に注意勧告をしてくれました。また今回のイベストにて重要な役割であった幸も同様です。太一が芝居だけに集中できるように「衣装は手伝わなくていいから」と言ってくれましたよね。幸自身が『にぼしを巡る冒険』にて主演を務めた際に、あれもこれもやらなくてはいけないことに追われ大変な思いをした経験が活かされています!

気持ちばかりが空回りして一生懸命になりすぎてしまう太一に、彼らのような合理性が備わっていればいいのに…と客観的にストーリーを見ていて感じた方ももしかしたらいらっしゃるかと思いますが、これがまさに双対関係の醍醐味であるのです。INTJ型は「目的までの最短コース」を知っていますが、ESFPはそれを知ることが出来ず暗がりの中をぐるぐるとただ歩き回ってしまうのです。

コミュニケーションが課題である莇

太一が一人で空回りしてしまっていることを心配した左京は、準主演の莇に「もっと七尾とコミュニケーションを取るようにしろ」と伝えました。莇は必要なことを相手にわかりやすく伝達すること(例えば「スキンケアの指導をする」など)は容易に出来ますが、コミュニケーションに関しては少々苦手としています。え?わかりやすく伝達するのはコミュニケーションではないの?と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、一般的に言うコミュニケーションとは、意思の疎通・心の通い合いのことです。なので莇のソレで相手と双方向の心の通い合いができているとはちょっと言い難いですよね。INTJ型は心の中の感情(Fi)を認識しようとはするのですが、それを上手に空気に乗せて相手に運搬することをちょっと苦手と感じがちです。『真夜中の住人』にて準主演を務めたISTJ丞もコミュニケーション面が自分の中での課題でしたが、自分なりの方法で東と心を通わせることに成功しました。INTJもISTJも、Fiが第3機能であり対人関係面(人との絆を感じること)では同じような不安を抱えやすいのです。(丞はお出かけイベント公演『天の川で逢いましょう』にて上手に自分の気持ちを伝えられない莇に同情し、アドバイスをしてくれましたね!)

▼簡易版ではありますがITNJ莇の解説はコチラをご覧ください。

FiーTeでコネクト!太一と莇 ~双対関係の歩み寄り~

ご存知の通り莇は感情的な話はと~~~っても苦手です。特に、恋バナ!!(笑) 恋愛に対して「恥ずかしい…」という気持ちが強く、顔を真っ赤にしながら反論するのが莇の特徴です。ピュアいですね。ちなみに同INTJ型の幸は莇よりもFiの抑圧が強いのですが、恋愛について語る時に「バカバカしい」といった態度を取る傾向にありますね。また、この『饅頭拳!』の中でもかつて幸に恋愛感情を抱いていた太一に対して「変な馬鹿犬」と評価しており、恋愛感情そのものに疎いようです。

しかし太一とコミュニケーションを取る上で莇が選んだテーマはその苦手な恋バナでした。太一と二人で会話をした時にしてくれた話が自身の片想いの話だったという理由です。それに対して太一は「あーちゃんが無理して恋バナしてくれてる」と莇を軽くからかいますが、このセリフはとても大きなポイントです。通常住む世界が違うことからぱっと見では“遠い人”のように感じる双対関係の相手ですが、意識的に使う第3機能について評価することで相手との距離が縮まるという特性を持っています。太一が莇のFi(自分が興味のある話を相手がしてくれている)を見つけることで、莇に好感を持ちます。

逆に莇は太一のTeを見つけると同じく好感を持つということ。莇はこの公演の稽古で、徹底的にスキルアップに務めレベルの高いパフォーマンスができるよう不器用ながらもストイックに努力する太一の姿を見ています。莇自身もメイクアップアーティストになるという夢を持ち夢に向かってストイックに努力ができる人ですから、太一が「胸を張って主演を務めたい!」と思う気持ちはきっと理解ができるはず。太一はやり方がわからないだけで、莇とは同じような価値観を持っているのです。

一見価値観が違うように見える「双対関係」ですが、触りの部分はこのように第2機能・第3機能を共通としていることで繋がります。相手の主機能が自分の劣等機能に当たるため「なんかよくわからない人だなぁ」とは当然思うのですが、第2・3機能を共通するので「悪い人ではなさそう」とも思うのです。

猫のTeも借りたいっ…!?

万里に「お前の努力できるところはすごいから無茶なやり方はやめろ」と言われたことをありがたく思う太一ですが、それでも「無茶なやり方で努力する以外、どうすれば自分に自信が持てるかわかんない」という気持ちは消えませんでした。
翌日(?)学校で昼食を一緒に取った天馬に「特訓で気付いたことをアドバイスして欲しい!」とお願いしますが天馬は「自分次第だろ」と何も教えてはくれません。

そう、太一は自分で分かってないだけできっとちゃんと出来てたんです。じゃなかったら正直な物言いをする彼らは太一にダメ出しだって普通にできるワケだからね。ましてや万里なんてリーダーでもあるし専門的に演劇を学んでる立場上、稽古の上での改善点があれば注意すべき立場です。五感を使って物事をこなす「センス」みたいなのはSeなので本来太一は得意なのですが「それができているかできていないのか」を判断するTeが太一は少々苦手なんですねぇ。

そこで莇が着目したのは太一の「気持ち(Fi)」の部分です。太一はSeであり五感感覚はきちんと持っているので練習さえすればちゃんと出来るようにはなります。んで、このSeをFiと共に使うので「五感体感を通してハッピーな気分になる」ここまで出来て初めて、本来の七尾太一というわけです。このように心理機能はどれか一つだけが突出していてもダメで、うま~くバランスを取っていかなければなりません。特に太一にように得意な機能ではないTeを使いまくっていては「俺って何をやってもダメな奴…」としか思えなくなってもおかしくないのです。

ガンマクアドラと【肖像画】

さて、莇のとあるアイデアにより万里らが太一にさせたことは、もはや秋組の恒例行事となっている「ポートレイト」です。既にある2本のメインストーリーで物語の軸となっていたのはこのポートレイトですね。

ポートレイトを日本語にするとおおよそ「肖像画」「生き写し」という意味です。自分の存在や生きざまを何らかの手法を使って体現することではないでしょうか。
SNSでコスプレイヤーさんが「ポトレ撮影してきました~!」とご自身の私服の写真をアップされているのを見ますが、あれも「普段コスプレをしている私(何らかの役柄である私)」ではなく「ありのままの私(何の役柄でもない私)」といった意味合いを持っているようです。

これは舞台がお芝居に置き換わっても同じ意味合いでしょう。「ありのままの姿」という点で非常にA3!らしい概念ですが、特に秋組らしさを持っているものだなと思います。秋組は莇が加入したことにより半分がガンマクアドラで構成されています。(十座、太一、莇)
ガンマの要素は①大胆不敵(Se+Ni)要素②シリアス(Fi+Te)です。屈強なクアドラと称しましたが、「闘う(大胆不敵)+群れを成さない(シリアス)」なので個人の力で言えばこのクアドラが一番強いのです。これとポートレイトがどう関係があるのかと言うと、「個人的な事情」を曝け出すことへの耐性が強いんですね!
ガンマの対照的なクアドラはアルファですが、アルファのメンバーが多いのは冬組です。冬組は『運命共同体』なんていかにも依存度が高そうな通称がありますが実際にリーダーの紬が説明しているのは「一定の距離感を保ちつつ、もし一人で抱えきれなくなった時はみんなで共有する」というものであり、一人で抱えきれてるものは一人で抱えさせる距離感です。このことは5章で記憶を取り戻した密に対し「人には言えない事情がある」と分かっていながらも、詳細を聞こうとはせず手助けだけをしていたことかがらも伺えます。密はガンマなので「話せるようになったらみんなに聞いて欲しい」と言っていますが、おそらくこうでも言わなければリーダーも無理に聞き出すようなことはしないだろうと思います。(個人の事情を曝け出すことを良しとはしないという価値観を持っているのです)

ガンマはそんなアルファとは逆に「個人的な事情に配慮する」そして「痛みと闘っていく」という価値観を持っています。まさにガンマである莇は、「太一さんは秋組の皆に迷惑をかけた分、恩返しをしたいと思っている。けど同時に主演をやっていいのかという引け目も感じている」という太一の個人的感情である“罪悪感”に目を向けていました。ガンマは闘うクアドラなので「傷を舐め合う」というわけでもなく、傷を有しながらも「闘える状態」にまで持って行きます。

愛されキャラのESFP

ESFPはFiを持っているので「私はあなたに愛されているか、愛されていないか」というのは判別がつきやすい性格タイプです。逆にFiが不器用であるESTJ型の左京は『任侠伝』にて「自分が家族や秋組メンバーに愛されているということ」に気付けず、様々な齟齬が発生していましたね。

上記でも説明した通り、太一はSe-Teを使いすぎたことによりFiがすっぽり抜け落ちてしまっていました。なのでいつもは「みんなに認められている」という気持ちのもと、能天気に笑ってガキっぽく騒いでいた(※左京談)のですが、バランスが取れなくなっていた分この「愛されているという事実」を気にできなくなっていたのかもしれません。もちろん誰かと絆を形成にするには、約束を守ったり誰かのために利益を提供したりという目に見える体現は必要です。しかしいくら約束を守り利益を提供しても、相手と信頼関係が形成されていなければそれはただ虚しいものとなってしまいます…。こうした個人間契約とも取れるFiとTe。双対関係である莇を筆頭に皆がバランスを取ってくれたおかげで、太一は見事いつもの能天気に笑ってガキっぽく騒ぐ太一に戻ることができたのです!

オフトピ★胸を張って「初恋のあの子」に…!

饅頭拳を読むうえで非常に微笑ましかったのは太一の恋の行方(?)ですね!画面越しの我々には最初から太一の初恋の相手が幸であるということは既知の事実でしたが、改めてそれを知った太一。そして手助けをしていた莇。共に事実は事実としてシッカリと受け止め、向き合っていったことは印象的です。
すっと劇団の仲間として接してきた相手がずっと胸の内に居た初恋の相手だったという事実は、受け止める人によっては非常に複雑なものだと思いますが、太一らにはそこまで迷いを感じませんでした。それよりやるべきことはただ1つ!幸をお芝居に誘い、太一の勇姿を見てもらうことにしましたね。んん~大胆不敵!笑

前述もした通り幸は莇と同じくINTJ型で、太一とは双対関係にあたります。実際に勇姿を見てもらった太一が「どうだった?」と幸に尋ねると良かったところは褒められつつも徹底的にダメ出しをされてしまいました!!しかし、これでこそ双対関係だな~という感じですね。ここで「バカ犬のわりにすごかったじゃん。文句ない出来だったんじゃない」と言われたのでは、太一にとって何も挑戦するものもなくなってしまい無刺激で楽しくない結果にしかなりません。太一にとって「できなかったことを自分の力でコントロールできるようになること」というのは非常にワクワクするものでありますし、そういったことをキッカケとして生まれる感情や人との感情的な繋がりを人生の楽しみとしています。太一がこれからもずっと愛される子で居続けるために、幸は必要なことを与えてやれる存在であるのです。

こういった点でも、これからの二人の関係性には注目ですね!恋愛の形は様々ありますから…!

 総括

太一お誕生日おめでとう~!!!はい、なんとこうして誕生日に記事をアップすることができました!これもひとえに私が記事を書くのに苦労していたお陰(!?)ですね。さすが私!という感じです。笑

最初フライヤーを見た時に「え!?メンヘラカンフー?」と空目してしまったんですが、あながち間違ってはなかった…?とは言え太一のメンタルヘルスが健康になって本当に良かったです。スパメモのエピローグでシトロンと一緒に花火で必殺技出してた時のようなあのガキっぽさが太一らしさですよね~。まさに天真爛漫!!

私は最初太一を見た時は「この子こんな元気なのに心の中では人を妬んだりしていてびっくり!」と思っておりました。キャラを好きか嫌いかとかではなく、ただただその感覚に驚きがあったのです。私の感覚は「人は人、私は私」だったので人と比べてどうのこうのという感覚を知らなかったのです。でも先にも言った通り、太一にはその感覚があったからいっぱい努力もできたし向上心を持てた。皆はその太一の向上心も評価してくれていましたし、つまり劣等感ごと愛してくれていたんだな~と思い、当記事のタイトルとなった運びです!笑顔になれない日もこれからたくさんあるかも知れないけど、それでもお芝居と皆の愛があれば「闘える状態」までは絶対持っていける強い子であると信じています!

饅頭拳、わりと話の時間軸が飛び飛びなのもあり、考察として一つの文章にまとめるも何だかまとまりのない感じになってしまいましたが大丈夫でしたでしょうか?執筆が遅くなりがちですが、これからぼちぼち冬組公演の『剣に死す。』の執筆も初めていきたいと思います!

長くなりましたがここまで読んでくださり、ありがとうございました~!




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